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オートマ車のブレーキは左足で

2年ほど前から、オートマチック自動車のブレーキは左足で踏んでいる。きっかけは、雑誌のエッセイで、左足で踏んでいる人の体験談を読んだことだった。ときどきオートマチック車でブレーキとアクセルの踏み違えで突っ込む事故があるが、アクセルは右、ブレーキは左としてしまえば間違うこともない、というのにいたく納得したからである。そして、そうしてからは非常に快適であることが書かれていたからだ。

利き足でない左を使うことは不安はあったが、試してみる価値はあると思った。免許を取ってからずっとマニュアル車に乗っていたものの最近はほとんどオートマチック車ばかりで、ブレーキとアクセルの踏み違いは、事例を見聞きするたびにこわいと思っていたので。
だいたい、利き足でない左といっても、それは手が右利きだから足も右利きだと思っているだけであって、左利きの人が足も左利きだとしたら、左利きの人のほとんどは利き足でない足でブレーキを踏んでいることになる。だからどうだという話は聞いたことがない。

練習は、交差点で止まることが多い一般道を避け、空いた高速道路を走ったときからを始めた。最初のうちは、力の入れ加減、抜き加減がわからず、ギュッと踏んでガクンとなってしまったが、高速を下りるころには慣れた。思ったよりも短時間で慣れるものなんだな。それ以来ずっとブレーキは左足で踏んでいる。
左足ブレーキにしてから、ブレーキとアクセルを踏み間違えることがないという安心感を手に入れただけでなく、車庫入れや渋滞時など、アクセルとブレーキを頻繁に踏み替えるとき、ずっと便利になった。アクセルとブレーキをいっぺんに踏めるんだから、当然だ。たまにマニュアル車に乗ることもあるのが心配だったが、そのときはちゃんと左足はクラッチの足に切り替わってくれる。これもだいじょうぶだ。

さて、夕べ今月号のJAF機関誌「JAF MATE」を読んでいたら、「それで急ブレーキが踏めますか?」という記事が目にとまった。履き物やシートポジションが急ブレーキにどのように影響するかを調べた記事だが、「思うようには踏めない急ブレーキ」という見出しで始まり、急ブレーキを確実にかけるには、次の3つの要素があると書かれていた。
(1)早い反応時間
(2)素早いブレーキの踏み込み
(3)強いブレーキを踏む力の維持

「早い反応時間」は、アクセルからブレーキへの踏み替えの早さに大きく左右される。左足ブレーキなら、踏み替える必要はないのでこの点非常に有利であるが、気になったのは、残りの2つだ。この点が、左足は右足に比べてどうなんだろうと思ったが、一晩寝たらそんなことはすっかり忘れていた。

一夜明けて今朝の出勤時。片側2車線の道路の右側を走っていたら、前方の信号が青になり、信号待ちの車の列が動き出した。ここは左折が多いので、右側はどんどん進むが、左側は歩行者の横断を待っているようでなかなか動き出さない。私は直進なので、動き出した右側の列に続いてそのまま交差点を抜けようとした、

そのとき!

のろのろと動き始めていた左側の列にいた大型貨物トラックがいきなり右車線にはみ出してきた。
無意識のうちに急ブレーキをかけて、止まった。幸い、スピードはたいして出ていなかったので、スピンすることもなく止まった。びっくりしたなあ。「何やってんだよ! ウインカーも出さずにいきなり車線変更するな、バカ!」と、聞こえもしないのに悪態ついてしまった。奥様、お里が知れますわよ。
トラックは、右に車線変更しようとしたのではなく、車体が長くて交差点を曲がり切れないので、いったん右にハンドルを切ってから大回りで左折しようとしたのだった。まったくもう。危ないったらありゃしない。

そのとき、夕べ読んだ急ブレーキの記事を思い出した。足下を見ると、ブレーキを、左足と右足の両方で踏んでいた。
おお、えらいじゃん、私の両足。右足だけでアクセルとブレーキを踏み替えて運転していたときには、こんなことは一度もしてなかったと思う。
左足はブレーキの足。右足もブレーキを踏める足。これなら急ブレーキも安心かな。

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2/16今日のオマヌー

 インドに行く前からチャイをよく飲んでいる。今日はチャイ用にお土産に買ってきた紅茶でインドのことを思い出しながら飲もうと思ったが、まだ使いかけの紅茶が何種類かあるので予定を変更し、アールグレーのミルクティにすることにした。
 最初はお湯だけで茶葉を煮出してからミルクを加えるのと、いきなりミルクで煮出すのとどっちがいいのかかねて気になっていたので、両方試してみることにし、片方は沸騰した水に茶葉を、もう片方は沸騰したミルクに茶葉を加えた。色付いてきたところで、気づいた。これ、紅茶でなく、ポーレイ茶じゃん。
 アールグレイとポーレイ茶(プーアール茶)って、香りが似てますよね…。ね?ね?ね?。

 ミルクポーレイ茶、けっこういけました。

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インドの旅

 2/7から昨日2/15までの9日間休みをとって、インドへ行って来た。こんなに長い休みは新婚旅行以来だし、新婚旅行のときより長い。
 今回の旅は、ヨガ教室の先生がセミナー参加のためにインド北部の町リシケシにあるアシュラムに行くのに便乗して、教室の生徒+αも連れて行ってもらったのだった。
 教室のホームページはこちら→http://space-be.net

 ヨーガとの出会いは、もう25年ほども前になる。就職した年(1978年)、ひどい肩こりに悩まされていて、配属先の八王子市内で偶然見つけた「ヨガ健康教室」のドアを叩いたのだった。肩こり解消にヨガがいいらしいとどこかで聞いたからだ。当時小平市在住だった東(ひがし)先生(女性)は、ご自宅での教室のほか週に一度八王子にも教室を開いていらした。
 入門の2年後に、結婚を機に転勤して八王子を離れてからも八王子教室へ通っていたのだが、それから2年ほどで会場の都合で八王子教室はなくなってしまった。以降は、たまに先生のご自宅にお伺いしながら10年近くは自己流に毎日続けていた。しかし、その後の転職で不規則な生活となり、だんだんと一日おきになり、二日おきになり、そのうち、ときどきになってしまい、気がつくとかたらはすっかり硬くなって、前屈の姿勢で頭が膝にもつかない。こんなはずではなかったのにと落ち込んで、そんな自分を直視したくなくてますます遠のいてしまった。だから、ヨーガ歴25年といっても、途中の10年ほどはかろうじてヨガとの縁の糸がつながっていたというかんじだ。
 1995年、母の死をきっかけに再度転職し、規則正しい生活に戻った。このままではいけない、もういちどヨーガと向き合いたいと思っていたとき、深澤渓あきる野芸術祭の裏方を手伝っていた弟から、芸術祭にトンボ玉を出品している人がヨガ教室も開いていると聞いたのが、今回インドに連れて行ってくださった飯田先生(男性)との出会いだった。
 2人の素晴らしいヨーガの先生と巡り会えたことが、今回のインド行きにつながっている。以前、東先生からもインドにいらした話を聞いたことがあり、そのころからいつかは行ってみたいものだと思っていたのだった。…と書くといかにもヨーガの修行に行ったようだが、実際には観光(と買い物)が主だったんだけどね(^^;)。それでも、常にヨーガとともにあった旅だった。アーサナ以外にはヨーガのことは実はまだほとんど知らなかったということにも、今ごろやっと気づいた(^^;)。機会はあったのに、興味をもっていないからそれは目に入っていなかったんだということにも。

india001-yoga

 今夜、久しぶりに東先生に電話をし、インドへ行ったことを報告した。とても喜んでくださって、近いうちにお土産を持って遊びに行く約束をした。そのときまでに、先生がインドにいらしたときの写真を探して置いてくださることになっている。
 昔話をしながら、東先生がヨーガを始めたのは38歳のときとうかがった。現在は72歳におなりとのことなので、私が東先生と出会ったとき、先生はちょうど今の私と同じ年齢だったことになる。また、東先生も飯田先生も、40歳前後にヨーガと出会って10年も経たないうちに教師になられた。不思議なご縁を感じた。私は25年にもなるわりには進歩がないが、細く長く、一生続けて行きたいと思っている。インドから帰った今、いっそうその思いは強くなった。

 とまあヨーガがきっかけで行くことになったインドだが、今までヨーガを続けてこられたのは夫の協力によるところが大きい。八王子教室のころは毎週車で迎えに来てくれてほんとうにありがたかった(しかも、食事の準備もできてたし)。今度のインド行きにしても、快く賛成して送り出してくれ、留守中はぬか床のめんどうまで見てくれた夫に、あらためて感謝の意を表したい。ありがとう。

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