ホテイアオイがナスに化けた話

 2000年3月からメダカを飼っている。犬や猫のように懐いてはくれないし、こちらも一匹ごとの見分けはつかないが、これも「ペット」というのだろうか。朝、エサをやっていたら、犬の散歩に通りかかった人が「何をしているんですか?」と声をかけてきた。「メダカにエサをやってるんですよ」と言うと、「いいですねぇ散歩がいらなくて」と言われて苦笑した。そう、散歩がいらないし、一週間ぐらい留守にしても文句を言わない。あ、犬も文句は言わないか。吠えても。メダカは吠えもしない。鉢の内側についたコケを食べるので、もう何年もエサなんかやったことがない、という知人もいるくらいだ。ものぐさ夫婦にはぴったりのペットである。

 最初はペットショップでエサ用に10匹100円で売っているヒメダカだった。野生メダカは今、絶滅危惧種に指定されているが、ヒメダカは人間が作り出した品種なので、別物だ。また、自然の生物体系を乱すので、絶対に川に放流してはいけない。また、クロメダカだからといってやたらと放流してもいけない。クロメダカは、地方によって遺伝子が違うからだ。詳しくはこちら(「野生種とヒメダカ」)を参照のこと。

 何年目かの冬、ものすごく寒かったある日の翌朝、玄関先に出したメダカ鉢が割れていた。表面に氷が張るのはよくあることだが、このときは鉢の中の水が完全に凍ったため膨張して鉢が割れたのだ。当然、中のメダカは冷凍されて死んでしまった(涙)。東京ガスの見学に行ったとき、超低温液体ガスの中に入れて冷凍した金魚を水に放すと蘇生して泳ぎ出すデモンストレーションを見たが、あれは瞬時に凍った場合で、じわじわと凍ったものが生き返ることはなかった。合掌。
 すっかりあきらめていたところ、鉢の形に凍った水の底に、ほんのわずかに水が溜まっている部分があることを夫が見つけた。見ると、たった一匹生き残ったメダカがいるではないか。よく生きていたなあ。感動した。このオスメダカはそれから先何年も生き、小さめの煮干しくらいに大きくなり、たくさんの子孫を残し、天寿を全うした。合掌。

 その後、新しいメダカ鉢を買い、知人からクロメダカの子を10匹ほどもらった。ペットショップで買った、九州の川でとったクロメダカだそうだ。知人はクロメダカとヒメダカを別の鉢で飼っているが、うちではとてもそこまではできそうもないので、生き残ったヒメダカといっしょに飼ったところ、黒メダカの子のほか、クロメダカとヒメダカを両親に持つ子メダカが生まれた。今いるのは、それらの子孫である。近親交配で問題にならないのか心配だが、今のところ奇形などは見られない。

 初夏から夏にかけて、メダカはエサをよく食べ、たくさん卵を産む。小さな小さなコメダカは、そのままにしておくと親が食べてしまうので、水草に卵を産み付けたら別のバケツに移してやらないといけない。メダカは、子孫を残すより自分が生き残る方を優先するようだ。
 卵を産み付けるために入れる水草には、ホテイアオイ(別名ウオーター・ヒヤシンス)やボタンウキクサ(別名ウオーター・レタス)があるが、後者はあまりにも増えて手に負えないので(こんなページを発見)、ホテイアオイを愛用している。ちなみに、どちらも環境がよいとこのように大きくなるらしい。

 ボタンウキクサほどではないが、ホテイアオイもよく増える。春先に1株買ったものが、ついにメダカ鉢の表面を覆い尽くしてしまったので、処分することにした。せっかく増えたものを捨てるに忍びなく(買えば1株100円くらいするのだ)、ほしい人にもらってもらおうと、ホテイアオイを入れたバケツにポリ袋を何枚かぶら下げ、広告の裏に次のように書いて出しておいた。

ホテイアオイ差し上げます。
メダカ鉢の中で増えすぎました。
ほしい方、好きなだけお持ちください。

 あまり人通りもないため、午後になってももらい手がいなく寂しく思っていたところ、夕方足を止めているおばさん二人連れを見かけた。よかったなあと思いながら見ていたら、なんとおばさん、バケツごと荷台に積んで行ってしまったではないか。貼り紙もなくなっていた。追いかけて「バケツは返してください」と言おうかと思ったが、「100均で買ったバケツだから、ま、いいか」と追いかけるのは思いとどまった。しかし、あれは100均のバケツでなく、注ぎ口のついた高いバケツだったのだ。夫と、バケツだけ返してくれるといいねぇ、と話していたが、なかば諦めてもいた。
 それから約2時間後、「バケツが戻ってきた」と夫が呼びに来た。「中にゴミが入っているのかと思ったら、ほら」と差し出されたバケツの中には大きなナスとインゲンがたくさん入っていた。今日一番うれしかった話。

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バスローブ

 若かりし日、バスローブにあこがれていた。お風呂上がりに羽織る(着る?)、タオル地でできたガウンみたいな形のアレである。
 結婚してしばらくして、ついに買った。しかし、使い方がよくわからない。
 お風呂から出たら、バスタオルで体を拭く。しかるのちバスローブを羽織る。パンツくらいは履くんだろうか。
 しかし、長時間そのままでいたら胸もとや足もとがスースーして寒いではないか。だったら、パジャマを着てしまった方が手っ取り早い。それにバスタオルで拭くのなら、敢えてバスローブを使う必要もない。
 そんなわけで、ろくに使いもせず、母のところへ行くことになった。しばらくして実家に行った際、それを父がガウン変わりにパジャマの上に着ていたので笑った。

 それからだいぶたったある日。映画「GIジェーン」見ていたら、主人公が泡だらけのバスタブからあがって、いきなりバスローブを羽織った。いきなりである。泡を流してから、ではない。驚いた。バスローブというのは、バスタオルを使わずに着るものだったのか。しかも、泡をつけたまま。まてよ、その泡はどうなるのだ?
 仕事で英国暮らしの経験のある友人に聞いてみた。イギリス人はお風呂から出るときに泡を流してから出ないのか、と。出ないんだそうである。泡は、バスローブに吸収させるらしい。「GIジェーン」はアメリカ軍の映画だ。ということは、アメリカでもイギリスでも、泡は拭かないらしい。
 驚いたのはそれだけではなかった。イギリス人は、食器洗いの際にも泡がついていて平気だそうである。すすぐ、ということをしないらしい。食器洗いに使ってよいものなのであれば、人の口に入っても害があるはずはない。そもそも、人の口に入って害になるようなものを食器洗い洗剤として売っているわけがない、ということのようなのだ。
 これを知ってさらにショックは深まった。でもまあ、水節約という意味では環境にやさしい、と言えるのかもしれない。この「〜〜にやさしい」という言い回しは嫌いだ。ついでに、「〜〜に癒された」、「〜〜の生きざま」というのも嫌いだ。

 まあそれはそれとして、バスローブの話。あれは、バスタオルのかわりに使うものらしいということはわかった。ということは、毎回洗濯するのだろうか。
 うちでは、バスタオルを毎日は洗わない。一人一枚のバスタオルを使い、使った後はタオル掛けに干しておいて翌日また使う。何度使うかという決まりはなく、鼻を近づけてクンクンやって変な臭いがするようになったときが洗濯時だ。しかしだ、バスローブはどうするのだろう。ほんとに毎回洗うのだろうか。高級ホテルにあるバスローブなどは、厚手で、ずっしり重く、洗濯機に入れたらそれだけでいっぱいになりそうで、しかもそう簡単に乾きそうもない。あんなものを毎日洗っていたらたまったものじゃない。しかし、バスタオルみたいに何日か使うとしたら(日本では泡は拭かないのだから可能だろう)、それはどうしておくのだろう。ハンガーにかけて脱衣所におくのだろうか?
 やはり、バスローブとはよくわからないシロモノである。

 と、どうしてそういうことを書く気になったかというと、今日の朝日新聞beeにバスローブの話が載っていたからだ。最近は、軽くて吸水性があり、しかも一週間は洗濯いらずの、ポリエステル・ナイロン混紡の合繊製品があるそうだ。筆者によると、厚手木綿製品と違って、肌にまとわりつく感触がないところもいいらしい。
 これだと、頻繁に洗濯する必要はない。しかし、足はどうやって拭くのだろう。バスローブて拭いてから着るのだろうか。髪の毛には別途タオルを使うのではないか。だったらバスタオル一枚で全身を拭いて、乾いたパジャマに着替えた方がいい。それに、いくら速乾性といっても、翌日まではハンガーにかけて、風通しのよいところに吊しておかなくてはならないだろう。壁にフックをつけてかけておいたりしたら、壁が湿ってしまうだろう。
 というわけで、バスローブは、今後も高級ホテルに泊まったときだけのお楽しみとなるだろう。

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閏年のおひな様

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  物心ついたときには、自分のひな人形があった。祖父が買ってくれたというガラスケースに収まった五段飾りの木目込み人形で、すでにぼんぼりは破れ、小物の大半がなくなっていたが、従姉妹の家にある七段飾りの背丈ほどもあるりっぱなおひな様より、自分のその小さなおひな様が好きだった。祖父はその後間もなく事故で亡くなったため、祖父の記憶はまったくない。そして、そのおひな様も、今はない。

 結婚したときにも持ってこなかったのは、おひな様への興味が薄れてしまったこともあるが、実家の母に預けてあると常に思っていたからでもある。その母が亡くなったのは1995年2月初旬。阪神淡路大震災の少しあとの寒い朝だった。
 母がいなくなったあと、無性に自分のおひな様が恋しくなり、実家のめぼしいところを探したが、見つからなかった。父も、弟も、知らないと言う。母はいったいどこへしまったのか。あと考えられるのは、物置の、見えないところに隠れている可能性だけである。しかし、あまりの散らかりようにとても手を付ける気にはなれず、可能性を残しながらもとりあえずあきらめた。
 その後、旅の途中に信州小布施のお土産屋さんで一目惚れした小さな小さなおひな様を買い求め、それが私の2番目のおひな様になった。

 七回忌が済んで、やっと母の荷物の整理をする気になった父を手伝って物置を徹底的に片づけたが、そこにもやはり私のおひな様はなかった。もう探すところはない。母が天国に連れて行ったのだろうと諦めたころ、蓋に小さく「おだいりさま」とヘタな字て書かれた半分壊れた木の箱を発掘した。蓋を開けると、薄紙に包んだ立派なお内裏様とお姫様が入っていた。しかし、いかにも古い。そして、痛んでいる。髪の毛はボサボサ、お内裏様の冠も手にしているはずの扇もない。布は色褪せ、あちこちほころびている。黒い台座の塗りは剥げ、座布団はすり切れ、お姫様の冠はジャラジャラと豪華ではあるが、まったく輝きはなかった。いまにも朽ち果てそうだ。ずいぶんと古そうだが、着物の一部に化繊が使われているので由緒正しきものではないらしい。それにしてもいったいこれは誰のおひな様で、なぜここに在るのか? 父も弟も知らないと言う。知るのはただひとり母のみだが、死人に口なし。確認の術はない。
 そのまま物置に置いておくのも気が引けた。母の形見と持ち帰り、それは私の3番目のおひな様となった。次のひな祭りに2番目のおひな様とともに飾ってはみたもの、なんだか薄気味悪くて、翌年からは箱の中にしまったきりだった。

 そのおひな様を、今年は久しぶりにやねうら部屋から出してきた。ひな祭りの近づいた2月28日に友人が遊びに来てくれたとき、鑑定してもらおうと出して来たのだった。友人から、「いいお顔のおひな様だから、大事にしてあげて」と言ってもらえたときは、ほっとした。そして、それを信じたかった。信じることにした。
 そんなわけで今年は久しぶりにそのおひな様を飾ることにしたのだが、3月3日まではあと4日しかない。ひな祭りが終わったらさっさとしまわないと嫁に行けなくなるなんて言われるものの、うちには未婚の女性はいないのでその点は問題ないとはいえ、やっぱり不自然ではある。そこで都合のいい理由を思いついた。旧暦のひな祭りである。旧暦は一か月ほど季節が遅いので、ひな祭りのころは桃も桜も花開き、春爛漫だ。そちらの方がよほどひな祭りにふさわしいとかねがね思っていたし、誰かに何か言われても「うちは旧暦でお祝いなの」と説明すれば事足りる。これであと一か月は飾っておくことができることになった。

 4月に入って、今日は何日だろうと旧暦カレンダーを見て驚いた。旧暦で3月3日と思っていた4月4日は、閏2月15日。なんだこの「閏2月」というのは、と調べて初めて旧暦には閏月というのがあることを知った。暦が実際の季節とずれるのを防ぐために挿入される月で、19年に7回、約3年に1回余分な1か月が挿入されるのだそうだ。今年はその閏年にあたっていたのだった。
 旧暦の3月3日は4月21日。かくして我が家にはまだひな人形が飾られている。

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お尻のチカラ

 小さいころ、「せっけんに髪の毛がくっついたときはお尻でこすると落ちる」と母に教えられた。以来40年以上も、なぜお尻で落ちるんだろう?と思いつつもそれを忠実に守っている。
 つい最近、まったく同じ方法てせっけんについた髪の毛をとっている人がいるのをどこかで読んで、同じことを教えた母親と、それを守っている娘がいることを知ってなんだかうれしくなってしまった。
 今夜もまた、せっけんについた髪の毛をお尻でこすってとった。そのとき、なぜ?という疑問が急に湧いてきて、今度はわざとせっけんに髪の毛をつけておっぱいでこすってみた。結果は、とれた。なんだ、とれるじゃん。
 お尻の権威、丸つぶれ。

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